これは自分のためにも書いておかなければならないことなので
書いておく。
数日前に、親しくしていた若い女性の友人が亡くなってしまった、
という悲しい知らせを受けた。
自死であった。
誰に相談するでもなく、突然の出来事だったらしい。
めったに逢う機会もなかった友人だったけれど、、最初から、どこか
気が合う人だった。
知らせを聞いてからのショックは、自分でも想像ができないほどの
もので、
最初は
「なんでなんだよぅ」とか「悲しすぎるよう」とか
そういう感情がぐるぐる渦巻いていて、身体にも
ズシーンと重さがのし掛かってきてやりきれない思いだった。
そのうちに、「○○ちゃんが、のびのびと、気持ちいい世界で
ゆったり楽しく過ごしてくれますよう」って願うように気持ちが
変わっていった。
それらのことを、彼女と同じく「師匠」として絶大に信頼している
方にメールで伝えると
次のような言葉が返ってきた。
無断で引用させてもらうが、心底、「嗚呼、そのとおりなのだ」
と思い、また肝に銘じようと思ったので、
ここに引用させていただく。
「・・・(前略)だから私は、○○さんが亡くなったことによって誤った二次被害が広がることのないように努めながら、われわれが受け継ぐべきはあの素直な笑顔であることを伝えたいと思います。」
「闇の部分があり、人間だから光の部分がある。
ならば、闇は祓い、光を継ぐべし。
思い浮かぶべきは、あの笑顔のみ。」
自分自身、何か「闇の部分」にのっとられていたような
(誰のせいでもなく自分で引き寄せているのだが)昨今だったので、
「光を継ぐべし」という言葉は
今の私には非常に必要な言葉だった。
ご友人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
人は誰でも心に闇の部分を持っています。
私も心が弱っているとその闇にに取り込まれそうに
なるので、なるべく光の当たる方を向いて歩いて行きたいですね。
(変なレスでごめんなさい…)
ご友人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
いいことも悪いことも同時にある。
笑顔のいい人はより悲しいですね。って、
上に書いてる、あ-るみっくすcotoichさんと隣の部屋で、
横浜のネットカフェです。(笑)
森羅万象、そして人の心にも光と闇が存在するんですよね。
ここの所私それの翻弄されている毎日なんですよ。
なのでこの日記、ちょっと心に来ちゃった。ちょっと苦しい。
お無くなりになったお友達のご冥福をお祈りします!
苦難を乗り越えていくという言葉は力強いけど、乗り越えられなかった、あるいは乗り越えるのがしんどい、というのも選択です。
でもね、自分の大事な友人・知人だったら、おーもりさんと同じように動転してしまうでしょう。数年前の私だったら、結局自分の都合のいいように「解釈」して封印してしまうんじゃないかな。
そんな気がします、正直な話。
あああ、私はその方を存じ上げないですが、
ほんと哀しいと言うかせつないです。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私個人のお話で恐縮ですが、
誰かが亡くなると、
ある空間にぽかんと穴が開いちゃいます。
それは透明だけど、絶対的な決然とした穴です。
その穴は薄れるようで決して薄れない穴。
いつまでも存在し続けます。
でもその穴にあるスクリーンに浮かび上がるのはその人の笑顔。
闇は消えない。だけど結局闇に明かりをともすのは、
亡くなったその人自身の笑顔なんです。
光は継がれていくんですね。
ご冥福をお祈りします。
おーもりさん(や私たち)が今生きているというのは、
死ではなく生を選択している=自分の中の光が闇より強い状態にある、
ということだと思うのです。
その方の光の部分を尊重すると共に、自分の中にある光の存在にも感謝したい気持ちになりました。
ご冥福をお祈りいたします。
「光を継ぐべし」
ずしっと来ました。
そのために自分には何が出来るだろう、ひるがえって
この世でやらなきゃいけない事について、考えさせられました。
それは結局自分の事だったりもするのですが。
>闇は祓い、光を継ぐべし。
>思い浮かぶべきは、あの笑顔のみ
私は、ついこの間・・・お墓参りのときに横で手を合わせるパパに、ちょっとだけ勇気を出して、今まで聞けなかったことを聞いてみました。
「いつも、なんて声をかけて手を合わせてるの?」
私がへたれなばっかりに、何年も、何年も聞けなくて(笑)
パパから帰ってきた答えは・・・
「お元気ですか? だよ。。なんで?」
でした。
こんなに簡単で、素敵で、あったかい言葉でよかったんですね。。。
パパは、海に飛び込んでしまった親友にも、早くにガンで亡くなってしまった後輩にも、そして、お母さんにも・・・みんなに同じ言葉をかけて、何年も手を合わせ続けていたんですね。。。いつも、いつも、
お元気ですか? と・・・
お師匠様のお言葉に、少し近い感じかなぁ。。。気持ちは、きっと同じなんだろうなぁ。。。
そう思って、コメント書かせていただきました。
どうか、素敵に笑う彼女の笑顔を思って。
そして、それ以上のおーもりさんの笑顔を祈って。。。
ご友人のご冥福をお祈りします。
>ひるねさん
まさに「人間だもの」ですよね。
色々あるのだ人生は。
でもそれで良いのだ、・・・・と思います。
考えに考えた結果でしょうから。
>あ-るみっくすcotoichさん
ありがとう御座います。
cotoichさんも体調、心身ともにゆら〜〜っとしていきましょう。
>Melonちゃん
俄然、身辺にネット住民増えてますね(苦笑)。
「笑顔のいい人はより悲しいですね。って、 」
↑
説得力ある言葉ですね。
>ZENさん
一念三千、人のこころは地獄へも浄土へもどこへでも飛んでいける
くらいの幅がある、という意味だったと思いますが、
そんな時だからこそ、自分を見つめ直す、良いきっかけになる
機会を得てるのかもしれませんね。
いや、自分に言ってるんですけどね。
> 鬼丸子さん
「乗り越えられなかった、あるいは乗り越えるのがしんどい、
というのも選択です。」
↑
「自死」が「弱い」とか「悪い」とかは私は思ってないのです。
そういう、せっぱつまった思いがそこにあったのだな、と
思うのみで。
私も「師匠」の言葉がなかったら、いつまでも
ぐるぐるしていたのだと思います。
闇は祓い、光を継ぐべし
身近な人が亡くなると、
気付かされることがたくさんあるね。
光と闇が表裏一体なことは承知も承知。。。
ならば、ありったけの光をかき集めて継いでいこう。
最近気に入りの一語・・・「一寸先は光」
>いくちゃん
「闇は消えない。だけど結局闇に明かりをともすのは、
亡くなったその人自身の笑顔なんです。
光は継がれていくんですね。」
↑
ほんと、そうなんでしょうね。
なんか、この事を書いて以降、「がはははっ」と笑っている彼女が
ずっと身近に感じるようになっています。
>Lilyちゃん
「自分の中にもある光の存在」に目を向ける、って、ほんと
そうなんですね。
けっこう無視すること多いですもんね。
それを少しづつでも育ててやらなければなぁ。。。
>かぶ吉っちゃん
「この世でやらなきゃいけない事について、考えさせられました。
それは結局自分の事だったりもするのですが。」
↑
そうですね。
かぶ吉っちゃんの言う通り、それぞれ持ち場持ち場でやってく事が
結局全体に影響していくんですもんね。
大きな事考えるよりか、自分がしたいことを大切にするのって
重要なんじゃないかな、と。
>あおいさん
「お元気ですか」って、とても良い言葉ですね。
亡くなった彼女も私も好きだった作家の藤原新也の本に
「なにも願わない手を合わせる」 (文春文庫)
という本があって、それは藤原さんが身内の死のために巡礼しながら
思う事なのですけど、タイトルの通り、「ただ手をあわせる」という
ところにいきつくという話だった気がします。
なんかそのことも思い出しました。
http://www.amazon.co.jp/なにも願わない手を合わせる-文春文庫-藤原-新也/dp/4167591049/ref=sr_1_10?ie=UTF8&s=books&qid=1197423981&sr=8-10
>おつむちゃん
「ご友人のご冥福をお祈りします。 」
↑
ありがとうございます!
>ユミータ嬢
「身近な人が亡くなると、
気付かされることがたくさんあるね。」
↑
ほんまやねぇ。
こういう気持ち、生まれて初めて知ったわ。
それほど、身近に死がなかったのだな。
色々と考えさせてもらって、これは彼女からのギフトかも
しれんな、って思うよ。
>「なにも願わない手を合わせる」 (文春文庫)
是非、読ませていただきます。。。
今年1月26日に山羊座入りした、破壊と再生の星冥王星の影響を受けているであろう、とおもわれる人が多いです。あ、もしよろしければ、おーもりさんの星を観させてくださいー。
誕生年月日と時間と場所がわかるとかなり詳しく出ます。
無理じゃなく、
もしおーもりさんの気が進んだらね〜。
見てください、見てください。!
どこへでも参じますですよ。