日曜、代官山に太鼓集団「 GOCOO」のライブを見に言った。
http://www.gocoo.tv/jp/gocoo_tv_main.html
女性7名、男性4名からなる太鼓集団。メインは女性達。
「トランス系に興味ありならハマると思うよ」と友人に誘われ出かける。
いっや〜〜、めっちゃカッコ良かった!
太鼓は前から興味があった。そもそも「トランス系」なんてあえて言わなくても、太鼓の音自体が聴く者をトランス状態にするわけで、なんか人間の根源的生理的快感にダイレクトに訴えるものなのだよね。
大地の鼓動と心臓の鼓動がびったりと一体化して、えも言われぬ快感になる。
バリにジェゴグという、竹で作った打楽器の編成ものがあるけれど、あの重低音を聴いているとトランス状態で恍惚となるのに似ている。
オール・スタンディングで、しかも最前列で見ていたもんだから、奏者の筋肉の動きがつぶさに見られてこれまた良かった。
もうね、筋肉が美しいのなんのって!
ことに肩甲骨周辺の筋肉!
しかし凄い体力だ。
力で叩いていたらあっという間に音をあげるんだろうな。
丹田に気をためて上半身は力抜いて柔らかくしていないと、とうていあんな長時間叩き続けられないだろう。
観ている方も快感だが、やってる方も当然脳内麻薬が出まくっていると思われ、「あはは、あはは」っていう満面の笑顔で奏している。
わっかるな〜。踊りを踊っても、ボクササイズとかしていて「えへえへ」という笑いになってしまうものね。あっちゅう間にハイになる。
ところで、リーダーの女性は元、鍼灸師で「もっと人々とエネルギーを交歓出来ることはないかな」と太鼓をやり始めたらしいが。
しかしだね、観ていて思ったが、太鼓は「観るのも楽しいが、自分がやったらもっと楽しいだろう」、と。
このグループのリーダーが太鼓教室もやっているそうなので習いに行ってみるか。とにかく自分で叩きたい!!んである。
話のトーンは一気に変わる。
(日記を毎日書いてないと、こういうはめになる。本来この二つの話を同時にアップするのもどうかと思うが仕方ない。)
奥山貴宏さんがおととい亡くなった。32歳。編集者、件ライター。
http://www2.diary.ne.jp/user/109599/
体調を崩して入院したらガンだった。しかもいきなり「余命2年」」と宣告されてしまう。
「31歳ガン漂流」(ポプラ社)「32歳ガン漂流エヴォリューション」(牧野出版)と、自身の病状や日常を綴り、死ぬ間際まで仕事をし続け、残された時間を濃密に疾走した奥山さん。
数日前にマガジンハウスから出たばかりの「ヴァニシング・ポイント」を半分までよんだところだった。
「ガン漂流」は、こういっちゃあなんだが一言で「面白い!」と言いたくなるような内容で(読んだ多くの人の感想もそれだったらしい)、普通の闘病記みたいなものとは一線を画していた。
音楽と小説と映像に強かったせいか、文章も独特な空気があって、闘病記なんだからそこそこ深刻に読まなけりゃ悪いような後ろめたさを感じつつも、思わず笑ってしまうような面白さがあった。
ひとえに奥山さんが、自分自身を突き放して見続けていたからこそのものなのだが。
一冊目を出したあと、たまたま会って数時間話をする機会があり、その時もナンという話をしたわけではないのだがズシンと残るものがあった。
あの「ズシン」という感じは一体なんだったんだろうと後日考えた。
それは、(誤解を恐れずに言うが)今、目の前にいる人は、確実に、死ぬ、しかもあとわすかな時間で、という事がわかっている事からくる「ズシン」だったと思う。
どんなに親しい関係の相手でも、普通、相手は1年先も5年先も多分20年先も「生きている」という前提でもって相対している。
いつかは死ぬのだ、この世界を共有する事はなくなるのだ、なんてことをいちいち考えたりはしない。当たり前だが。
それが、「ある地点まで」とはっきり区切られているということ。そのことの「ズシン」。
そう感じるのもこちら側の勝手なのだが。
しかし悲しいのではない。
本人も「夏休みは終わりがあるからこそ楽しい」と言っていたし、普通の何百倍もの密度で残された時間を生きたはずで、彼の目には(副作用でのたうち回る苦痛を感じながらも)一方で、世界はきらきらと輝いていたと思う。
心からご冥福を申し上げる。
くますけのところでも書いたけど。
合掌。
くますけさんから聞いて奥山さんの日記読んでました。
本も大切に読ませてもらおうと思います。
合掌。
こんばんは、mixi日記、始めたんですか?
「ガン漂流」を書いた奥山氏、テレビの討論番組で見ました。
最後に自分が生きた証しを残したいと、とても
健康的に言っていたのが印象的でした。
うちの母親もガンだったので、敬遠してたんだけど
読んでみようかな。。。
太鼓に反応。
前にセネガルのドゥ・ドゥ・ニジャエローズ(今生きてるのは息子)のドラムセッション見に行ったんですが、太鼓は音楽と言うより医術・呪術、神懸かりみたいですね。
コンサートの後宿便まで出て体調絶好調に・・・(下ネタ失礼)
音楽そのもの自体、元々そっち系?
私も太鼓はやりたいかも。
「31歳ガン漂流」
「32歳ガン漂流エヴォリューション」
ともにすごく面白い本でした。
おーもりさんがおっしゃるように、
そう思う自分はどうも不謹慎かなと思いつつ、
すごく面白かった。
同世代ということもあり、職種も同じ、
趣味も似ている、ということで、
いろんな面でシンパシーを感じてしまい、
何とも言えない気持ちになったのを思い出します。
個人的には存じ上げませんが、
とても寂しいです。
本当に才能のある人でした。
ご冥福をお祈りいたします。
一緒に取材を終えて、クルマまで戻る。
でも、ひとブロックを続けて歩くことができない。
へたるようにしゃがみ込んでしまう。
その度に立ち止まって、ヤツが歩き出すまで待つ。
声は掛けない。
掛けた声に応えるだけの体力をも、絞り出さなければならないから。
SONYプロダクツの頂点であるQUALIAを取材した時に、
「このMDに付いているイヤフォンだけでも欲しいなぁ」と言ったら、
その後しっかり単品で発売されていて、
「やられたよ〜。間に合うかなぁ」と言いつつ予約していたヤツ。
定価1890万円と超ハイエンドスピーカーシステムを前に、
「自分の持っているCD、全部ここで聞きたいよね」と言ったヤツ。
深く深く、俺をえぐって、
独りで逝っちまいました。
他人事じゃないですね。ホントに・・・
「生」と「死」を一緒に書いた始めてのミクシイ日記。
やっとコメント可能になりました。 若かったりすると
余計なのかもしれないですけど、その両方を意識して毎日
生きることってなかなかないですよね。 だから、寄り道
して、時間を無駄にしたり... 夏休みは終わりが
見えているからこそ、楽しみ方もハッキリしてくる。
もしかしたら、その方は、ある意味、幸せの意味を
本当の意味で理解してしまったのかもしれませんね。
う〜ん、相変わらず、人生って深い!!
>かすみさん、maruちゃん
うん。わたしも合掌。一度会っただけなのにね。ほんと彼が残したものって
すごく大きいです。
>ボギーさん
是非読んでみてください。近親者をガンで亡くされた方が読むとどういう感想を
持たれるかわかりませんが、でも、最後までこういう風に生きられる彼の力という
のに圧倒されます。
>noliccoさん
セネガルの舞踏教室にも誘われているわたし。
どこまで手を広げるんだ(とほほ)。
でも太鼓はいいですよね!
>いくちゃん
「ガン漂流」は、奥山さんと同い年の友人(彼も編集者)が本を手に取り
「ああ、音楽も本の趣味もなにもかも凄くオレと同じ。分かる。わかるだけに
読むのが辛すぎる」とこぼしていたことがあったです。
同世代だとなおさらキツイものがあったと思う。
>くますけさん
くますけさんの日記で彼の死を知りました。
ありがとう。
奥山さんと別れるとき、それまで「明日死んでもいいような気もする」と
言っていた彼が、ぽそっと「・・・・せめてあと10年・・・」と言った言葉が
深く残っています。
くますけさんの言うとおり、「残された者は生き続けるしかない」、ですね。
>ナイト
けんかしようが何だろうが、とにかく目の前の相手とはしっかり向き合う、と。
けっこう日常に流されたりしてます。
>イオ
うん、そうだね。生きてる長さじゃなく密度だよね。
人の一生分をわずか短期間に凝縮しつくして逝ったんだね、彼は。
「幸せの意味を本当の意味で理解した」、ほんとその通りなんだと思う。
ヤツの分まで生きようなんて、
おこがましいことは言いません。
ヤツが悔しくなるくらい、
充実した人生をおくってやろうと思ってます。
>くますけさん
精一杯生ききった、ということが、残された者にどれだけ大きなものを
残すのか、という事実に改めて深く感じ入っています。
わたしの精一杯生きてやる。
>セネガルの舞踏教室にも誘われているわたし。
それ、行きた〜いです! アフリカンダンス、一度やったけどハードだった。
>noliccoさん
誘われてる教室は
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/harappa/walk_talk/
アフリカンダンス、一度体験してから考えたいんだけど
どこかでやっとらんだろうか。
そうすか、ハードなんだ。なおのことヨシですわ。
肩胛骨まわりの筋肉はいい!ですよね。
と、重い話に背を向けようとする私がいたりする。
ゆるして!
>りっちょん
そうくるだろうと思ってたさ(思ってないか)。
そうなの。背中、ことに肩胛骨まわりの筋肉が美しいと萌えますな(注・女子の
筋肉に限る。おとこのはどーでもいいの。)
ダンサーの背中とか、もう、ほれぼれよね。
2つのトピックが同時進行してますが、
えーと、私は31歳ガン漂流の方で。私も31歳。
奥山さんに会ったことがある、となると、目の前の人が消えていくという感覚の前に、なんとも胸をしめつけられるような気がしますよね。
この人はやがて消えていく、それがせつない、
でも気が付けば消えていくのはその人だけじゃない、
それは自分も同じなんだ、、、と、
「有限」ということを突きつけられるような気がします。
自分なりに、限られた時間の中で、何かをまっとうしたい、
ですね。
奥山さんはそれができた方なんだろうな、と思います。
日記に弱音が出てないことが、ものすごくその人の強さを感じさせてくれますし、その裏にどれだけのことを抱えてたのかとも。でもその姿勢は、希望のようなものを提示してくれるような気もします。
>ニックニックさん
すみません。両極のトピックの落差がすごくて。
自分のコメントの落差にも戸惑うくらいで(自業自得です)。
ちょうど30前後くらいを境にして、多くの人が「これから自分はどうする?」という
大問題にぶちあたり、もがき苦しむ、という割合が多いように見受けられます。
私もそうだったし。
そこであがいて、ひと山越えないと次に行けない。
五里霧中の中、「これでいいのか?」という焦燥感で一杯だったなあ。
でも、そういう精神の極限状態をしっかりまっとうすると、いつのまにか
次の風景が見えてきたりする。
そしてしばらくするとまた次の峠越えが待っている、その繰り返しですが
「限られた時間で何かをまっとうしたい」という思いは私も一緒です。
奥山さんにガツンと頭をなぐられた感じでした。
朝、家の前の公園の大木に、しばし抱きついて(張り付いて)おりました。
そういう気分でね。
良いよ。大木に抱きつくの。
アフリカンダンス、見学はないのね。
この間のANとはパリのアフリカンダンスのクラスで知り合ったのです。
10年前だったけど、翌日からだバラバラでしたよ。筋肉痛がハンパじゃなかった・・