10日ほど前になるが家の上棟式をやった。
建築家は「やってもやらなくてもどちらでも良いですよ。」
と言っていたが(この方は、何事につけ強制的な物言いは
一切しない)、
しかし定期的にメールで送られてくる現場写真やら、
伝えられてくる大変な作業を知ると
やっぱり職人さん達への慰労と感謝の
意味での上棟式はやるべきだな、と思い、そうした。
全面道路が狭いこと。
よって、鉄筋を入れるための大型車を止めておけないこと。
地盤は強固だが、以前建っていた建物に地下室があり、
それが逆に大きなネックになったこと。
などなど、構造をどうするか、で相当に頭を痛めたようで、
従来通りのやり方では造れない。
限られたコストの中でどう良いものをつくるか、
という問題もある。
上棟式での宴会で初めて話を聞いて驚いたが、まったくもって
ミニ「プロジェクトX」状態だったようだ。
建築家が超優秀なかたであるのは勿論の事、構造設計家も
若手で優秀な方だったらしく、現場の職人達と6時間くらい
討論していたこともあるらしい。
最終的には「よーし、やってやろうじゃないの!」と
職人魂炸裂だったようで。
非常に難しい、手作業の多い現場であることが予想され、
そのせいか鉄筋、鉄骨の職人さん達も熟練した人達が
集められていた。
みんなプロ中のプロ。
なんかやる気が全員に充満していて、各持ち場で、
要求以上の、採算度外視の仕事をして下さっている事を
知り、感謝してもしたりないくらいだった。
彼ら(主任建築家と実質担当建築家)の実力と人柄のせいか、
関わる全ての人達がいちがんとなって、建物に愛情を
そそいでくれている。
本当にありがたいことだ。
やっぱり上棟式、やって良かったな、としみじみ思う。
お互いが顔を合わせるというのは本当に大事なことだな。
ところで、
全幅の信頼をおける建築家に依頼すると、ほんっと楽だ。
「外部と内部があいまいな感じの開かれた空間の建物」
「露天風呂が好きだから、そういう気分になれる
バス・ルームが欲しい」
という要求だけ出して、あとは一切おまかせした。
結果、なんかめちゃめちゃカッコイイ家になりそう。
久方ぶりに、本当に久方ぶりに身体中の全細胞が、
怒りと、憎悪と、嫌悪と、悔しさとで沸騰した。
以前、ひどい別れ方をした男。電話での会話。
ああ、この人は同じことを繰り返しているんだな。
聞きたくもない今つきあってる女のことなど聞かされて、
怒りが沸点に達した。
なんでそんな話を私にする?
何事もなかったかのように。
面倒くさいことは一切押し付けて、いきなり姿を消した奴が。
勝手にやってれば?
たまりかねて言った。
「誰と付き合っても同じよ。恋愛を、うまくいってない事の逃げに
使ってるだけだもん。」
「そうかも。じゃ、どうすればいい?」
どうすればいい?
どうすればいい、だって??
聞くなよ。自分で考えろよ。
その「優秀だ」って自慢してる頭は飾り物かよ。
やってろ。一生。
「かわいそうな僕」を演出してろよ。
何があっても、悪いのはいつも、誰かで、何かで、
「あなた」で、「僕じゃない」。
いつも、もっともらしい言い訳を用意している。
巧妙に自分の弱さを小出しにして利用して。
可愛いのは自分だけ。
利益があるかないかでしか人と付き合えなくて。
愛を求めてる風なことを言いながら、その実、愛ってものを
全くわかってなくて。
虚栄に満ちた、薄っぺらい俗物野郎。
底の浅さが悲しいよ。
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読んだみんなが引く覚悟で書いた上の文。
だけど、これもリアルな私だったりする。
付き合ってる当時、我慢に我慢を重ね、怒りを相手にぶつけた事も、
目の前で泣いた事もない。
不満を口にしたこともなかったかもしれない。
不機嫌になられるのが怖かったから。
それは惚れた弱みってヤツでもある。
でもね。
別れた相手に対して、「本当に、こいつはだめなんだな」と
思うくらい悲しいことは無いよ。
あっちゃこっちゃに手を広げ過ぎ、な昨今である。
ほとんど遊び方面なんだが。
仕事もしている、はず、、、なんだがそれよりも遊びの
占める割合が大きいもので、意識が仕事や制作に向かないなあ。イカンです。
本当は起きてる時間の意識の70%くらいを
(あくまで感覚的なことで、時間で計ってるわけではなく)、
制作に集中させたらどんなに大きな事が出来るであろうか、
とも思うのだが。
ま、やるときはやるから良いか。
で、最近何をしているかと言えば、まずは踊りでしょ。
サルサね。
そんで視たいDVDもあるし、読みたい本も山積みだし、
しかも「この本は必読」という本を友人らから
5冊も借りてるし。
本読んで「あーでもないこーでもない」と意見交換する
約束になってるんで早く読まなきゃいけないし。
書を教えてくれるという方が現れたので
(これがまたべらぼうに面白い世界で)、
道具一式買って、その練習せなあかんし。
そういや、大森曹元老師(臨済禅の師家で、
書道と剣道の蘊奥を極め、この両者の接点にある
不二の境涯を追求したお方)の「書と禅」、
わたしの師匠の精神科医に薦められたヤツ、
読まにゃならんし。
うう、あと、最近べらぼーに広がった交遊関係との
おつきあいもあるし。
ネット中毒の傾向もやや、いや、かなりあり、で。
ああーー、そういや、来週は棟上げ式するんだった!
その準備もだ。
いやはや。。。
連休中も仕事なり。
が、昨日「Shall we dance?」を観てきた。
けっこう楽しみにしてたんだがなぁ・・・う〜〜〜ん。
細かいギャグなんかはほぼ、そのままオリジナルと同じにしてあって、
要所要所では笑えるんだが、オリジナルとは別の映画として観た方が
ストレス無いという感じ。
比べてしまうと、圧倒的に周防監督のオリジナルのほうが完璧なつくりだ。
話のテーマを、「中年の危機」(そこそこ地位や名誉や幸せな家族なんかを
手にしても、ハタと自分はこれで良いのか?と立ち止まって悩むこと)→
「踊りの楽しさの発見による自己再生」
ではなく、あくまで「中年の危機」→「夫婦関係の再確認」にしたところが
いかにもアメリカ的かもしれない。
後半なんかほとんど夫婦の話だもんね。
しかし、けっこう感動するところもあって。
正確なセリフは忘れたが、妻の語りで「何十年も一緒に居るという意味は、
なんのかんのあっても、相手がこういう風に生きた、という証人になること」
みたいな事を言うんだな。
これにはグッときた。
グッときて思わず涙が出てしまったが、これ、掘ってしまうとまずいところに
行きそうなので「証人なんかいなくたって自分が知ってりゃそれで良いもん」と
強がりを言ってみたりして。
いや、自分の心にですよ。たはは。
あ、いや、違うな。
自分の人生を誰かに見ていて欲しいとは思わないんだ。
思わないけど、誰かのは見たい、見続けられたら幸せだろうという思いがあって、
しかし
そういう関係をつくれる相手と出会うのかねぇ・・・という思いだな。
おお、そうか。やっぱりあれは「夫婦の話」だったのか、アメリカ版。
まあ、一生一人と付き合うもよし。
その時、その時で互いの縁に応じて入れ替わるもよし。
人と人とは結局「縁のあるなし」、だからね。
にしても、なんでジェニファー・ロペスなんだろう?
色気ありすぎで社交ダンスをやる雰囲気は全く無いけどねえ。
草刈民代さんの品格には遠く及ばず。
妻役のスーザン・サランドンを久々に観られたのは良かったけどね。